「謝罪」と「差別」についての駄文
東野圭吾ははじめて読んだ。
そういえば会社の同期が彼の作品が面白かったと言っていたのが
頭に残っていて手にとった。
弟の進学資金を得るために「強盗殺人」を犯した兄と
「強盗殺人犯の弟」としてのレッテルを貼られた弟の半生がつづられた小説。
この小説を読んで2つの事について考えさせられた
「謝罪」と「差別」について少し。
「ごめんなさい」
「すみません」
「申し訳ありません」
「失礼致しました」
なにぶん、自分もよくお世話になっている謝罪の言葉。
発するほうの気持ちも真剣かもしれないけれど
これってなかなか都合のいい言葉だなと。
この小説の題材と実生活を比較するのは少々無理があるかもしれないけれど
謝りの言葉を述べるだけでは終わらない事は往々にしてあって
本当の意味で謝るというは
「ごめんなさい」と言葉を発した本人の自己満足であってはならず
相手が納得してはじめて成立するものだと。
言葉ありきでなく
行動ありき。
その行動も相手の納得ありきと。
真剣であろうがなかろうが、自己満足な謝罪になっているかどうかは
陥りやすい盲点だなと。
まぁ、そもそも人間、間違いを犯すようにできている生き物ですので
失敗しないなんて事はありえないわけですが
口先の謝罪にならないように意識づけようと。習慣づけようと。
また、もう一点
この小説にテーマとして終始登場してくるのが
ジョンレノンの「イマジン」で「差別の無い世の中をつくろう」というこの歌のメッセージと対照的に
「強盗殺人犯の弟」として差別を受ける様子がこの小説ではせつせつとつづられています。
差別は当たり前と言う平野社長(弟が働く会社の社長)の言葉が印象的だったり
また正々堂々と生きるのを止め
「家族を守る」という自分で考えた道を選択した主人公の考え方も共感させられるものがありました。
。。。
長くなりそうなのでこれにて。
ゆっくりしたテンポで読める良書です。